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作家の横顔  末吉暁子さん

作家の横顔 
末吉暁子さん
 
                      
Ya!! (宅配書店 SANTA POST機関紙)
2002年1月1日新春特別号

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ちっちゃな子だったら『ざわざわ森のがんこちゃん』、小学生だったら『ぞくぞく村のおばけ』シリーズでおなじみの児童文学作家・末吉暁子さん。

同人誌『鬼ヶ島通信』については昨年の「YA!!」9月号でもご紹介しましたが、この同人誌には、「ももたろうコーナー」という新人児童文学作家の登竜門となっているコーナーがあり、そこに入選された方たちで作った『ももたろう』という同人誌は、印刷等をサンタポストがお手伝いしています。

その『ももたろう』同人のおひとりで、『おとなりは魔女』などの作品を書いている赤羽じゅんこさんと一緒に世田谷にある末吉さんのご自宅へ取材に伺いました。

11月の暖かい午後、高いマンションなどがなく空がきれいにみえる閑静な住宅街の一角でお庭につくったテラスでお茶を飲みながらのひととき。きれいなアカトラ3代目の猫君と一緒に楽しい時間を過ごしました。


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サンタ:先生はずっとこちらにお住まいなのですか?

末吉:夫はここで生まれて育ったのですが、私の実家は沼津で、5人姉弟のまんなかなの。

赤羽:姉弟のまんなかというと、結構放っておかれませんか?

末吉:そうそう。だから子供の頃は本ばかり読んでいましたね。アンデルセンの童話や海外の名作全集などはずいぶん読みましたね。でも、本格的に日本の創作童話に出会ったのは、講談社へ就職してからです。

サンタ:最近、先生の訳で「アンデルセン童話」が偕成社から出ましたよね。

末吉:あれは偕成社のロングセラーですが、今回、新しく選び直して書き直したものです。1年生向け、2年生向け…、というように年齢ごとに選んで読みやすい本になっています。

サンタ:次女が今小学校4年生で、学校の図書室からよく先生の『ぞくぞく村のおばけ』シリーズを借りてきますが、あのシリーズは楽しいですよね。

末吉:垂石さんの絵がまたいいでしょう。ただ上手いだけじゃなくて、アイデアがおもしろくてお話をふくらませてくれるの。描かれた絵をみて、またそこからアイデアが浮かんできたりします。画家の方とは、こちらのイメージを伝えながらやりとりして作品をつくりますが、いい関係で仕事ができているシリーズです。

赤羽:最初からシリーズのつもりで書かれたのですか?

末吉:ちがうの。最初は、14年位前に雑誌に書いたものなのよ。坂田靖子さんの漫画にミイラが出てくるのがあるんだけれど、それがおもしろくて、私もミイラを主人公にして書いてみたの。編集者から「絵描きさん誰にしましょう?」といわれて、「実は私、坂田靖子さんの漫画からヒントをもらったの」といったら、本当に坂田さんに頼んでくれたの。

その話が子どもたちに好評で、あかね書房で単行本にしようということになり、単行本では挿し絵を垂石さんにお願いすることになったの。1作目は表紙があざやかなブルーのバックで、とてもきれいな本ができました。 

当時、あかね書房の会長(初代の社長)さんが「これは売れるよ!」とおっしゃって下さり、売れゆきもよかったのでシリーズ化が決まりました。

サンタ:児童文学作家になられる前は、講談社でお仕事をされていたのですよね。そのきっかけは?

末吉:私は青山の短大で英文科だったのですが、当時は結構出版社からも求人があったのです。

『ヤングレディ』や『女性セブン』など、ちょうど女性週刊誌がたくさん発刊された時期でした。ですから、最初は子どもの本ということでなく、『若い女性』という月刊のファッション誌に配属され、1年間ファッションの雑誌に関わりました。デザイナーから洋服を借りて、モデルに着付けて撮影するというような仕事で、自分にはいちばん向いていないということが、あとでわかったのですが、突然『ディズニーランド』という雑誌に配置転換になりました。
 
当時は今ほどディズニー関係も流行ってはいなくて、どちらかというと総合誌的な子ども雑誌でした。見開きの頁を自分の好きな詩や絵の作家さんに頼んだりすることができて、とても楽しかった。
 
3年目にまた転属で、今度は児童図書の担当になりました。そこで子どもの本というものに本格的に出会ったわけです。何の予備知識もない私に、若い男性の編集者が「これ、おもしろいよ」と教えてくれたのが、佐藤さとるさんの『だれも知らない小さな国』だったのです。それが初めて読んだ創作童話でした。こんなおもしろい世界があったんだ! と思って、それから次々と夢中になって読みました。
 
当時、その部署では、世界の名作絵本というのをシリーズでつくっていました。山田三郎さんの挿し絵も魅力的で、お母さんがたには人気がありました。そのうち講談社でも創作をやりましょうということになって、佐藤さとるさんの『わんぱく天国』、松谷みよ子さんの『ふたりのイーダ』といった創作シリーズを出版するようになり、私も佐藤さんの担当になりました。松谷さんが『ちいさいモモちゃん』や『龍の子太郎』を出したり、中川李枝子さんの『いやいやえん』も出た時期でしょう。ちょうど日本の創作童話のおもしろいものが出始めたころだったんです。

サンタ:外国の児童文学は学研から出てましたよね。『ちいさなスプーンおばさん』や『火のくつと風のサンダル』なんてなつかしいなぁ…。

赤羽:プロイスラーの『小さな魔女』とかね。よく読んだ!

末吉:あれは、いいシリーズでしたよね。岩波書店だとピッピのシリーズとかね。その当時、宇野和子さんという方の応募原稿で、講談社の新人賞をお取りになった『ポケットのなかの赤ちゃん』という作品を私が編集しましたが、それが最近また復刊されたんですよ。うちの子どももあれは好きだったと言ってましたね。

赤羽:え? 私これ、昔読んだ覚えがある!

末吉:応募原稿のあいだに著者の鉛筆がきの挿し絵がついていて、それがとてもあたたかみのあるいい絵だったので、絵も著者にお願いしたのです。

サンタ:その後、先生は児童文学作家になられたのですよね?

末吉:その頃子どもが産まれて、仕事と家庭の両立がだんだんむずかしくなってきました。突然夕方5時から会議だといわれたりすると、もう、お手上げです。

そんなときに佐藤さとる先生が、「末吉さんも書いてみたらどうですか? ぼくでよかったら読んであげますよ」とおっしゃって下さったのです。でも、そういうお話って社交辞令も半分入っているでしょう。そう思っていたら佐藤先生の作品の絵を描いている村上勉さんが「末吉さん、佐藤さんがあんなことを言うなんてめったにないことだから、書いてごらんよ。いいじゃない、失敗したって…」と熱心に勧めてくれたのです。それまでは本気で書こうなんて思っていなかったのですが、そのときにふっと書いてみようかという気持ちになったのね。
 
でも、子どもがまだ赤ちゃんだった頃で、夜中におっぱいを3回くらいあげるような時期だったでしょう。今思うとどうやって書いたのか不思議なのですが、編集の仕事を続けるのも無理そうだし、かといって仕事を全部やめたくはないし、どうしようかと将来の展望がなく悩んでいたときでしたから、必死にやってみたのではないかと思うのです。
 
短編を2作品書いて、佐藤先生に読んでいただいたら、そのうちのひとつがおもしろかったというお手紙を下さったのです。でも、そのままじゃ短いから、それをふくらませてみたらどうですか? といわれて書いたものが『星に帰った少女』です。お母さんのお古のコートを着て、バスに乗って過去へ行き、お母さんの少女時代に出会うというような話だったのですが、その後2年くらいかかって長編に作りあげました。あの本は、両親が離婚するという深刻な現実も書かれているでしょう。ちょっとしんどくなって、途中で中断もしながら細々と書いていました。
 
そのうちに子どももだんだんと大きくなってきて、遊んでいるところなどを見ていると、とてもおもしろいんですよ。その遊びを見ながらスルスルっと書けたお話(『かいじゅうになった女の子』)があって、それも佐藤先生に読んで頂いたら「ふうん、末吉さんがこんなユーモラスなお話を書くと思わなかった。おもしろいよ」と、おっしゃって偕成社を紹介して下さり、そちらのほうが先に本になってしまいました。その1年後、やっと書けた『星に帰った少女』が運良く児童文学者協会と児童文芸家協会の新人賞をダブルで受賞することができました。

サンタ:編集者と作家のお仕事って全然ちがうもののように思えるのですが…。

末吉:私は編集者としてはあまり優秀ではなかったのではないかしら…。
 
今回の『鬼ヶ島通信』は、編集者特集をしたのですが、編集者というのはいかにうまく作家から作品を引き出そうかということを考えて、相手のペースにあわせてやらなくてはいけないし、まめに動ける人でないとつとまらないと思います。私は不精な性格だし、作家の方をいい気分にさせるようなことも言えないし…、小さな子どももいましたから時間的にも制約がありましたし。
 
ゼロからつくる作家と、その作品をいいものにしていく編集者とは全然ちがうタイプの仕事で、2つの仕事が合体していいものができればすばらしいと思うのですけれど…。

サンタ:長編の日本のファンタジー『地と潮の王』は、よかったです。あれは15年かかってできあがったということですが…。

末吉:同人誌『鬼ヶ島通信』がはじまるときに『ママの黄色い子象』という作品を連載しました。それまではほとんどファンタジーしか書いたことがなかったのですが、あれは友人の家庭に起きたことをもとにして書いたリアリズム作品だったのです。
 
それが終わって、さて何を書こうかと思ったとき、どうせなら今までまったく書いたことのない作品をやろうと思ったのです。それまでも古事記や日本書記など古代史が好きで、講座などにも通っていたのですが、勉強していくとファンタジーの素材がゴロゴロところがっているのです。
 
こういうのもいいなぁと思いましたが、本格的に歴史を勉強をしたわけではないから不安な面もありました。でも、鬼ヶ島は同人誌だから自分の気が済むまで好きなように書けるかなと思って書き始めたのです。
 
途中まではストーリーがどう展開するかもわからなかったのですが、4回目あたりからはやっと方向が見えてきました。連載が終わると講談社で本になることが決まり、その後の書き直しにも3,4年かかりました。

サンタ:その後、ざしき童子のお話を書かれたのですね。

末吉:ふつう「ファンタジー」というと、だいたい西洋のイメージがつよいでしょう。でも、日本の神話や伝説にもいろいろその要素があって、地方などに行くとその土地にまつわるおもしろい話がたくさんあるのです。

 「今でもざしき童子が出る」という旅館に行ったり、地元にしかない資料などを読んだりして、だんだんと内容もふくらみ、ジグソーパズルをはめるようにして『雨ふり花さいた』ができたのです。
 
今は、『鬼ヶ島通信』に『水のしろたえ』を連載していますが、これは羽衣伝説を題材にしたものです。

サンタ:なぜ同人誌『鬼ヶ島通信』を出すことになったのですか?

末吉:20年くらい前に、編集者で評論家の野上暁さんと画家の村上勉さんと3人で飲んでいるときに「何かおもしろいことをやりたいね」ということから始まって、佐藤さとる先生や、気の合う編集者などにも入っていただき、7人くらいではじめたのです。いろんな人が出入りしました。
 
画家の伊勢英子さんにも書いていただいたりした時期もありました。その後、ご一緒に赤ちゃん向けの絵本をつくったりもしました。
 
今は、楽しく、やれる人だけでやりましょうという感じで続けています。はじめてからそろそろ20年になりますね。

サンタ:今、先生の作品はパソコンをつかって書かれているのですか?

末吉:今はそうです。その前はワープロでしたが、手書きからワープロに移行するときは、自分の文章じゃないような気がしましたね。
 
赤羽さんは?

赤羽:私はワープロをつかっています。高学年向きはいいのですが、小さな子ども向けに書くときに、子どものリズムというのかな、手で書いたほうが味わいがあるものができるのかなと思っています。編集の人からも「一回、手書きでかかないと、文章は良くならないよ」と言われたことがありますが…。

末吉:佐藤先生も「文章は手が書く」とおっしゃったことがありますね。手で書いていると、書きながら文章がもっとよくなったりすると聞きます。何かわからないけれど手で書く良さというのがあるのでしょうね。
 
最初にワープロで書いたときには、なんか文章がツルッと滑っていってしまうような感覚がありました。慣れていなくて焦ってしまったのかしら…。でも、慣れというのは恐ろしいもので、パソコンに慣れてしまうとだんだん不精になってきて、手書きの手紙を書くのも億劫になってしまうのよね。

サンタ:末吉先生のお薦めの本は何かありますか?

末吉:たくさんあるなぁ。さっきも言った『だれもしらない小さな国』。定番ファンタジーだったら、ちょっと昔の本ですが、トールキンの『ホビットの冒険』やバーバラ・スレーの『黒猫の王子カーボネル』がおもしろいですよ。最近のものだったら『さよなら、「いい子」の魔法』(ゲイル・カ-ソン・レヴィン作)や『月の石』(トールモウ・ハーゲン)。夢中で読みました。
 
日本のものでは、岡田淳さんの学校もののファンタジーとか、富安さんのムジナ探偵局のお話なんかおもしろいですよ。最近3巻目の『闇に消えた男』が出ましたね。ご本人もとてもおもしろい方。たかどのほうこさんの作品もいいですよね。やっぱり、ファンタジーが好きですね。

サンタ:小さい頃だと、そういうファンタジーの物語にスッと入れるのですよね。大人になるとなんだかそういうものを読むのも面倒になってしまうのですが…。

末吉:大人になると理屈が先に立ってしまって、いきなり異世界に入ることがなかなかできないですよね。だからファンタジーにはついていけないという人がいるんだと思いますが、子どもの頃はスッと入れるから…。

サンタ:やわらかい頭のうちにたくさんのファンタジーを読むと世界も広がるかもしれません。
 
末吉さん、赤羽さん、どうぞこれからもいい作品をつくってください。

少女の存在感 (千と千尋の神隠し)

「少女の存在感」
(千と千尋の神隠し)               

末吉暁子
MOE 2002年1月号


なんてったて宮崎アニメ。文学作品や実写映画ともちがうアニメーションというツールのつぼを 知り尽くしている。

印象に残ったのは、千尋という少女。冒頭、車の後部座席にひっくり返って、カッタルソーな表情のまま、引越し先に向かう彼女の気持ち、 わかるなあ。

十歳の少女にとって、引越しは一大事件である。でも、少女には何も選択権がない。飢えも貧困もないかわり、 自分でつかみとっていく何物もない人生は退屈きわまりない。おそらく引越し先にも、面白い事なんか何にもないということが、 すでにわかってしまっている顔だ。

一方でまた、そこそこお金もあり、そこそこインテリでおしゃれで現実的で、それゆえ中途半端な自信を持っている父親や母親にも、 今の日本の典型的な両親像が見える。

で、少女は一転して、非日常的な世界に投げ込まれるのだが、そこが八百万の神々が湯治にくる巨大な湯屋だというのが、 意表をついておもしろい。逃げ口の多い西欧もののファンタジーにしたくなかったという、宮崎監督のこだわりなのだろう。

ところどころで、「あ、この風景知ってる!」と感じたのは、私自身が宮崎監督に近い世代だからかと思ったのだが、 聞けば、二十代の男性でも十代の少女でも同じように感じているという。この映画が、子供にも大人にもウケた理由は、 どうやらそのあたりにもありそうだ。日本人が抱く原風景が、いたるところに周到に用意されているのだ。

少女は、豚にされてしまった両親を救うため、ここで湯女として働く事になる。

一人で生きていく術など何も知らなかった少女が、ともかくも目の前の障害物を一個づつ乗り越えていくにつれ、 その目に輝きがもどり、生きる力が蘇ってくる。

湯屋にやってくる神々(というよりは、どこかの自治体のお役員様みたいなケッタイな妖怪ばっかりだけど)や、 その他、異世界の住人には、イマイチ存在感を感じなかったが、この少女には素直に共感できた。

「子供には本来、環境に適応して生きていく力が備わっているのだ」という宮崎監督のメッセージには、 子供の本の書き手の端くれである私も「ほんとうにその通り!」と、心からエールを送りたい。

「インターネットに子供が参入する日」

「インターネットに子供が参入する日」                     
童話作家 末吉暁子 
国土交通 2001年7号

私の最初の本、『かいじゅうになった女の子』という童話が出版されたのは1975年だから、四半世紀も前のことになる。

怪獣になりたかった女の子が、本当に怪獣になっちゃうという書き出しは、当時、3,4歳だった私の娘と年上のいとことが遊んでいる様子を、そっくりそのままパクってふくらませたものだ。幸い、読者である子供たちにもウケて、ずいぶん長いこと本屋さんに並んでいた。

それから25年。私自身は、子供の本を書いているせいか、相変わらず精神的には幼児のままのような気がするのだが、周囲の環境変化は、めまぐるしいばかりだ。

その際たるものが、インターネットの普及だろうか。書き始めた頃は、もちろん、ワープロなどというものもなかったから、ひたすら原稿用紙に向かって、太いボールペンで下書きし、最終的に万年筆で清書をした。出版社を退社するときにいただいた記念の万年筆は使い勝手がよくて、ずいぶんお世話になったものだ。今では、この万年筆、机の引き出しに放り込まれたまま、すっかり忘れられた存在になっている。

やがてワープロの時代がやってきた。手書きからワープロに移行するときは、やはり抵抗があった。なんだか自分の文章じゃないような気がしたものだ。絵描きさんの中には、「ワープロで書いた文章なんかに、絵をつける気がしねえ」なんていう人もいたくらいだ。

でも、ワープロを何とか使いこなせるようになってみると、やっぱり便利だ。いちいち新しい原稿用紙に手で書き直す事なんて、まどろっこしくて、もうできない。

しかし、あっという間に、パソコンの時代になってしまった。もう、ワープロの機械そのものを生産しなくなるというんだからしょうがない。まだ完全にボケる前に慣れておかなくちゃいけない。

私の場合、パソコンはまず、メールと、自分自身のホームページを持つ事から始まった。

ホームページは、21世紀の元旦にかっこよく船出しようという目論見こそ外れたが、何とか、新年早々には開設できた。

ホームページを持とうと思い立ったきっかけは、いくつかある。

一つは、今までやってきたさまざまな仕事、単行本だけではなくあちこちに書き散らしてきた書評やエッセイ、テレビの仕事、仲間と刊行している同人誌など、もろもろの仕事を一目瞭然の形で、どこかで整理したかった事。これには、ホームページは最適だった。

もちろん、広報活動としての目的もある。このところ、少子化や読者の活字離れなどで、子供の本の出版界も、もろに不況の波をかぶっている。それでなくても、もともと児童書の出版社はほとんどが弱小企業なのだから、新聞に小さな広告ひとつ出す余裕すらないのが現状だ。そしてまた、新聞広告そのものも、以前のような強力な媒体ではなくなっている。第一、本屋にいっても、子供の本などなかなか置いてないのだ。

一方で、インターネット上では個人のホームページが続々と誕生し、そこには誰でも自由に参加できる。

とんでもなく大量の人がインターネットを見ているのである。

姿は見えないが、毎日アクセスしてくる大勢の人たち。掲示板に書き込まれる数々のメッセージと、それに答える未知の人たち。ホームページ即ちウエッブサイトは、日々、生き物のように変化を遂げていく。 実際、私も自分のホームページを持ってみて、新種のペットを抱え込んだような気分になった。手がかかるが面白い。新種だから、目を見張るような新鮮な体験もあるし、思いもかけなかった故障や失敗もある。

否応なく毎日巻き込まれる。

もっとも、誰でも自由に参加できるといっても、今の段階ではまだまだインターネットにアクセスするのは限られた人でしかないだろう。老人や子供や、さまざまな事情からパソコンを持つ事ができない人にとっては、遠い世界での出来事かもしれない。でも、遠からず、子供も老人も直接参入する日がやってくる。

複雑怪奇で、すぐ、ウンともスンとも言わなくなってしまう難しいパソコンというイメージを払拭して、もっともっと誰でもが簡単に扱える日がやってくると思うのだ。

そのときこそが、私が自身のホームページを持った最大の目的が果たされる日なのだ。早くいえば、子供たちに直接アクセスしてほしくて、ホームページを作ったのである。

だから、なるべく子供たちが見ても面白くて、わかりやすいページにしたつもり。

断っておくが、私は決してネット社会を賛美しているわけではない。

今まで、子供たちからもらった数々のファンレター・・お気に入りの絵や漫画のついた便箋に、鉛筆書きの字で一生懸命書いてくれた手紙の数々は私の宝物だ。子供たちがネットに参入してくれば、もう、鉛筆書きのファンレターなど書いて送ってくる子はいなくなるかもしれない。そうなったときに、私は宝箱を開いて、子供たちからの手紙を取り出し、「昔はよかったなあ」と懐かしむだろうこともわかっている。

でも、時代の流れに逆行することはできない。子供たちがインターネットに日常的に参入する日は、遠からずやってくるのだ。

ホームページを開設してほぼ四ヶ月。まだ小学校低学年以下の子供たちから掲示板への書き込みはない。

初めて、小さな子供が書き込みをしてくれる日・・一ヵ月後か、一年後か、十年後か。それは私にとって、大きな記念日になるはず。

その日を楽しみにして、これからもせっせと面白い童話を書いていこう。

私の一冊 『誰も知らない小さな国』

私の一冊 
『誰も知らない小さな国』 佐藤さとる著    

産経新聞 2000年12月18日 
末吉暁子

ファンタジーの金字塔   

出版社に入社して三年目、異動になった先が児童図書出版部だった。児童文学の事は殆ど何も知らないまま最初に手にしたのが『だれも知らない小さな国』だった。日本の童話といえば、ほのぼの調の生活童話が主流だったから、このファンタジーに出会ったときの衝撃はかなりのものだった。

その後、私は「佐藤さとる全集」を担当して何度もこの作品をゲラで読むことになるのだが、青年になった主人公の前に小人(コロボックル)たちが初めて自ら姿を現すくだりなど、読む度、仕事を忘れて胸を熱くしたものだ。長い編集者生活の間でも、そうそうある事ではない。

「ファンタジー」とは、現実にはあり得ないことをあたかもあり得るように書いたものだと後に知ったが、この本はまさに日本におけるファンタジーの草分けだった。曖昧模糊とした無国籍童話ではなく、本当に今机の上に三センチにも満たない小人が現れても不思議ではないと思えるほどにリアリティーがあった。

私が子供の本の編集者をしていた1960年代から70年代は、それまで殆ど未開拓の沃野であった児童文学の領域に次々と大輪の花が開き始めた頃だった。

佐藤さとる先生は、そこにいち早く、誰も知らない自分の場所を見つけ、思いのたけを込めて作品作りに没頭しておられたのに違いない。四十年たった今でもこの作品はファンタジーの金字塔として輝いている。

私自身は書き手になろうとは思っていなかったのだが、ある日、佐藤先生は私にも書くことをすすめてくださった。その間のいきさつは省くが、結果的に私は書き、今も子供の本を書き続けている。

そしてもう十八年も前になるが、佐藤先生を旗頭に児童文学同人誌「鬼ケ島通信」を創刊した。佐藤先生は現在は同人をおやめになっているが、今も毎号お原稿を頂だいしている。

細々と続けていた同人誌だったはずなのに、最近はちょっとした異変が起きている。熱心な読者が「鬼ケ島通信」のホームページを作って下さったおかげでインターネットを通じて佐藤さとるファンからの購読申し込みが続々と来るのだ。

子供の頃、佐藤さとるのファンだったのだが、最近思い出してネットで検索してこの同人誌を知ったという読者が圧倒的に多い。

そういえば佐藤さとるのファンは、理数系の男の子が多かった。彼らが、今、まさにパソコン世代なのだと納得した。購読申し込みに添えられた彼らの一言を読んでいると、一冊の本が如何に人生に大きな影響を与えるかをまざまざと見せつけられる。

私も同様、この本との出会いによって与えられたものは計り知れない。

児童文学を育んだ女性作家たち Series 5 末吉暁子

次世代に語り継ぎたい傑作がある
児童文学を育んだ女性作家たち 
Series 5 末吉暁子


MOE 2007年7月号より


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元気いっぱいの恐竜の女の子、がんこちゃん。気のいいミイラのラムさんや、いたずらな三つ子のグー・スー・ピー。子どもたちの相好きなキャラクターが活躍する物語をつくる一方で、『黒ばらさんの魔法の旅立ち』などの長編児童文学も書き続けている末吉暁子さん。30年以上に及ぶ「あっというま」の作家活動について、お話しいただきました。

取材・文/南谷佳世 撮影/木野聖二



●物語の生まれるところ

この春、なつかしい魔法使いが読者のもとへ帰ってきました! その名は〈二級魔法使い黒ばらさん〉。『黒ばらさんの魔法の旅立ち』が、前作『黒ばらさんの七つの魔法』から15年ぶりに刊行されたのです。物語の中でも同じように時は流れ、黒ばらさんは今や150歳。その変身術には少々ほころびが……。行方不明の少年を探すため、ヨーロッパの魔法学校に向かいますが、なぜか妖精世界に迷い込み……。はらはらどきどきの冒険の旅が始まります。

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『黒ばらさんの魔法の旅立ち』(偕成社)より。牧野鈴子絵

作者の末吉暁子さんは、これまで多数の児童文学や幼年童話をつくり続けてきましたが、中でも黒ばらさんは自身に重なるところがあるといいます。「登場人物の運命を握るという意味で、作者って魔法使い的なところがあると思うんですよね。特に黒ばらさんは、自分の分身みたいな感じがあって」。

黒ばらさんの魔術は、ドイツの魔法学校で学んだものですが、その生みの親は、次々と作品をつくり出す〈魔法〉をどんなふうに身につけたのでしょう。

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陽当たりのいい仕事部屋にて。執筆にはパソコンを使っている。

~~こんなに面白い本があったんだ、
子どもの本ってこんなに面白いんだって。
目からうろこが落ちましたね。


末吉さんは1942年、神奈川県横浜市生まれ。3歳の時、両親の故郷である静岡県沼津市に移り住み、高校卒業まで暮らしました。「海も山も近くて、夏休みは毎日友だちと海に行ってました。もう真っ黒で(笑)。今の子とちがって、あんなふうに自然に囲まれて子ども時代を過ごせたのは、よかったんじゃないかなあと思いますね」。

太陽の下、子ども同士で楽しく遊ぶ一方、ひとりで訪れる物語の世界も、末吉さんの大好きな遊び場でした。「私は5人きょうだいのまん中なんですけど、まだ末っ子だった時、母が寝物語をしてくれたんです。家庭に子どもの本があるような時代じゃないから、きっと昔話とか、母の知っているお話だったんでしょうね。べつによくできたお話じゃないんだけど、初めて聞く物語だから、ものすごくしみこむんですよ。自分が主人公になった気持ちで、全身全霊で聞いてました。字が読めるようになると、自分で探して読むようになって。どうしても、ストーリー性の強いお話に惹かれるんですよね。私の物語の原点みたいなものは、あの寝物語にあったのかなあと思います」。

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愛猫シャーちゃん。

本とともに成長した少女は、高校では『チボー家の人々』『ジャン・クリストフ』など、フランス文学に夢中になりました。「波乱万丈の展開があって、主人公が苦しみに逢いながらも最後になにかを成し遂げる、みたいな。やっぱりストーリー性の強い物語がすきでしたね」。その頃もうひとつ熱中していたのは映画。「沼津に来る洋画は、ほとんど毎週観たというぐらい。マルセル・カルネとか、フランスの、いわゆる青春映画ね。今とちがって、ほかになにもなかったから。映画と読書に明け暮れた高校時代でした」。


●腐葉土のように残る言葉

英語が好きで、将来はそれを活かせる職業に就きたいと思っていた末吉さん。高校を卒業したら専門学校へ進もうかと考えていたのですが、担任の先生の勧めで、青山学院女子短大の英文科を受験します。「当時、短大の英文科行ってスチュワーデスになるっていうのが女の子の憧れのコースだったのよ(笑)。チャレンジするだけで、受かるなんて思ってなかったんだけど、たまたま受かって。おかげで出版社にも入れて、すごくラッキーだったんですよね。ちょうど女性週刊誌の創刊ブームで、短大卒を18人くらい採用したんで、どさくさにまぎれて(笑)」。

入社した講談社では、まず若い女性向けのファッション誌、2年めに子ども向けの雑誌の編集を担当。3年めに配属された児童書の編集部で、心奪われる本に出会ったのでした。「同僚が佐藤さとる先生の大ファンで、『だれも知らない小さな国』を勧めてくれたんです。こんなに面白い本があったんだ、子どもの本ってこんなに面白いんだって。目からうろこが落ちましたね」。

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居間の飾り棚にはかわいらしい猫の人形が並ぶ。

以来、末吉さんは社内の図書館に通いつめ、『木かげの家の小人たち』『床下の小人たち』などたくさんの名作に親しみます。ほどなく佐藤さとる氏の担当となり、奥深い魅惑の世界へ誘った作品の続編『ふしぎな目をした男の子』を編集することになりました。

「いろんなすばらしい作家を担当しましたけど、やっぱり佐藤先生と、絵の村上勉さんのコンビの先生方との仕事がほんとに楽しくて。佐藤先生は教えるつもりでおっしゃったんじゃないと思うけど、雑談の中で、ひとことひとことがすごく響いたんですよ。個人的に。あの頃聞いたことは腐葉土みたいに、今もずっと残ってるんですよね」。自分のよく知っているもの、場所を書くこと。文章は書いていれば自然とうまくなるけれど、なにを書くか、どう切り取るかは教えられるものではないから、各人が見つけなければならないこと……心の琴線にふれる数々の言葉は、末吉さん自身も知らぬまに、作家の芽を育んでいたのかもしれません。
(註)*『木かげの家の小人たち』いぬいとみこ作 福音館書店 『床下の小人たち』ノートン作 林容吉訳 岩波書店

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左:高校時代に読みふけった『チボー家の人々』。
右:児童書編集者時代に出会った佐藤さとるの作品。のちに全集の編集にもかかわった。



●クモの糸にすがる思い

「編集の仕事は面白かったですね。どういう本をつくるかって、編集者の意図がけっこう反映されますよね。クリエイティヴな仕事だし、作家や画家、デザイナー、いろんな人に会えるし」。入社して数年後に子どもができても、仕事を続ける意欲はありましたが、産休からいざ復帰してみると、就業時間の不規則な職場で正社員として勤め続けるのは大変なことでした。「やっぱり辞めるしかないかな……と暗い気分になってたんです。私は家事も育児もだめで、専業主婦になったらおしまいだと思ってましたから」。

そんな時、末吉さんは打合せのあとの雑談中、佐藤さとる氏から思いがけない言葉を聞きました。――あなたも書いてみませんか。僕でよければ読んであげますよ――。うれしくは思ったけれど、末吉さんはあまり本気にしていませんでした。それまで本格的に書いた経験もなければ、書きたいと言ったこともなかったのですから。ところが同席していた村上勉氏の考えはちがいました。佐藤さんはめったにそんなことを言う人じゃないから、だめでもともとと思って書いてごらんと、それは熱心に勧めるのです。「だめだったら宝くじにはずれたと思えばいいじゃないって(笑)。今なら、それはちがうだろうってつっこむとこですけど、その時はフッと気持ちが軽くなったんですよね。だめでもいいんだな。そうだ、書いてみようって」。

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庭の可憐な花々。

~~子どもってほんとに
たくましくてユーモラスなんで、
そういうお話が書きたくなったんです。


子どもを保育園に預け、会社で忙しく働いて、家に帰れば夜中も2、3時間おきに起きて授乳する。そんな中、どうやって書く時間をひねり出せたのでしょう。「今だったら絶対不可能だと思いますけど、その時は、仕事を続けられないかもしれないと思ってたから。佐藤先生の言葉が、それこそ地獄に下りてきたクモの糸みたいに思えて、すがるような気持ちで、必死に書いたんじゃないかなあ」。

2、3か月かけて書いた短編ふたちのうち、これは面白いから伸ばしてみたら、と佐藤さとる氏に言われた作品が、のちに偕成社から出版された『星に帰った少女』の原型でした。「タイムトラベルもので、当時はまっていた、ジャック・フィニィの影響をもろに受けてますね。最初は短かったから現実のところをふくらませて。母子家庭にして、母親の再婚とか、塾のこととか」。

12歳の少女の繊細な心を描いたこの物語は、空想の舞台でありながらリアルな鋭さと重みをたたえています。

「そういうの書いてて、だんだんしんどくなってきちゃったのね。だけど、実際に子どもが育つのを見てると、すごく面白くて。いとこと怪獣ごっこしてるとこなんて、ふきだしちゃうぐらいおかしいんですよ。子どもってほんとにたくましくてユーモラスなんで、そういうお話が書きたくなったんです。こういう子たちが喜んでくれるものを書きたいなって」。

長編の筆をいったん置いて、新たに書き始めたのが『かいじゅうになった女の子』(偕成社)。長編よりもスムーズに進み、2か月ほどでしあげたこの作品も、佐藤さとる氏のお墨付きをもらえました。「末吉さんにこんなユーモラスな面があるとは知らなかった、これも面白いよとおっしゃって」。創作のめどがついたこの頃、末吉さんは会社を辞めてフリーランスとなり、編集をしながら、作家の道にふみ出しました。1975年に『かいじゅうになった女の子』を初出版。続いて1977年に出版した『星に帰った少女』は、児童文学者協会と児童文芸家協会の新人賞を受賞するという、児童文学史上まれな栄誉に輝きました。


●ファンタジーの素材の宝庫

『かいじゅうになった女の子』のような、明るい笑いにあふれた幼年童話。そして『星に帰った少女』などの、骨太なテーマを内包した長編。このふたつは、末吉さんの30年来の創作活動における両輪となっています。長編の多くは、1983年に親しい編集者や作家たちと始めた同人誌「鬼が島通信」に発表されたのちに、単行本となって、高く評価されています。

「長編で、わりにシリアスなものを書いていると、小さい子向けのおかしいお話を書きたくなっちゃうんですよね。そういう意味で、なんとなくバランスとりながら書いてきたところもあるんじゃないかなと思います」。

子どもたちからもらった感覚で、おばけや魔女の愉快な物語を書くうちに、末吉さんの中の“子ども”が目をさましました。「怪獣とかおばけとか、子どもの好きなものが私も好きなんですよね。もともとそういう面はあったと思うんですけど、書いているうちに、それがもっと強くなってきて。やっぱり自分が好きでないと、書けないと思うんです。ただ子どもが好きそうだから、というのでは、読者に媚びることになってしまうから」。

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おじいさんがだいじな指輪をなくさいたと聞いて驚く三つ子のおばけだち。〈ぞくぞく村〉の住人は皆こんなふうに、こわくなくて愛らしい。『ぞくぞく村のちびっこおばけグー・スー・ピー』(あかね書房)より。垂石眞子絵

書き手も読み手も大好きなキャラクターが大集合したのが、〈ぞくぞく村〉シリーズ。登場するのはミイラや吸血鬼など生身の人間ならぬ者ばかりですが、多少くせはあるものの、憎めない仲間たちです。「絵を描いてくれた垂石眞子さんが、私の想像以上に面白いキャラクターにしてくれて。その絵に触発されて、またどんどんイメージがふくらんでいきましたね」。

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〈ぞくぞく村〉のペープサート(紙人形芝居)。講演やお話会で上演すると、子どもたちが大喜び。

書き始めた頃は、どちらかといえば西洋のファンタジーに影響を受けていた末吉さんでしたが、創作を続けながらいろいろと読んだり、調べたりする中で、日本の神話や歴史に興味を抱きます。「日本にも素材がいっぱいあるんじゃないかと気づいて、山田宗睦先生の『日本書紀』や『古事記』の講座に通い始めたら、もうファンタジーの素材の宝庫という感じで。面白くて面白くて、何年か通いました」。

そこから着想を得て書き始めたのが、「はるかな岸べに」(のちに『地と潮の王』と改題、講談社)。「自分に書けるかどうかわからなかったんですけど、やってみようと思って。「鬼が島通信」で連載を始めたんです」。1985年から6年にわたる12回の連載を、さらに4年かけて書き直したこの単行本は、ファンタジー作家としての新境地を拓く作品となりました。

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~~想像だけで書こうとすると、まったくステレオタイプなものになっちゃうから。
架空の舞台であっても、
こういうところと決めたら、現地を見てきます。



●物語の舞台を訪ねて得るもの

『地と潮の王』に続いて、「鬼が島通信」の連載に選んだモチーフは〈座敷童子〉。「東北地方に特有の、妖精というか神様というか、すごく面白い存在だなあと興味を持って。でも私は、東北に親戚も知り合いもいないし、よそ者が面白いとこだけつまみ出すみたいな書き方では、ちゃんとした物語になるわけがないから、書けるかなあ、と」。迷いながら資料を集めるうちに、似たような存在が世界各地に見られることを知りました。「ヨーロッパの、かまどに住む家つき妖精とか、『ハリー・ポッター』のドビーなんかも概念は同じなんですよ。それなら、私なりの座敷童子を書いてもいいんじゃないかと思ったんですね」。

何度か東北を訪ねて、今も座敷童子が出るという旅館にも泊り、イメージをふくらませて書いたのが「屋根の上の茶茶丸」(のちに『雨ふり花さいた』と改題、偕成社)。末吉さんが実際に体験した不思議なできごとも織りこまれています。「その土地に行ってみて、それまでわからなかったことがわかる。それがすごく楽しいですね。地元の人が自費出版した研究書とか、面白い資料が手に入ったりするし。それに、ある程度ヴィジュアル的なイメージがないと、細かいところまで書けないんですよ。想像だけで書こうとすると、まったくステレオタイプなものになっちゃうから。架空の舞台であっても、こういうところと決めたら、現地を見てきます」。

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『雨ふり花さいた』。手前左はオランダ語版で、右はこれから刊行される韓国語版の表紙絵。

取材のつもりがなくても、旅は創作のきっかけを与えてくれます。神の島といわれることに関心を抱いて訪れた、沖縄県の久高島。島の小中学校で、不登校やひきこもりなどの問題を抱える子どもを全国から受け入れていることを知り、生徒たちの話を聞いたりするうちに、新しい物語が生まれました。「子どもたちひとりひとりに、いろんなドラマがあるんですよね。簡単に答えてはくれないんですけど、何度か通って話を聞いていると、本当に胸をうつことがいっぱいあって」。久高島を舞台にした「南の海のミウ」は、現在「鬼が島通信」で連載中。年2回の刊行の間に、何度か島を訪ねて、次回の材料を集めます。「いろいろ取りこんで、しこみはできたけど、どうやって書いていくかは白紙(笑)。毎回不安ですよ、本当に。だけど、それが許されるのが同人誌なんです。同人誌の事務局ってけっこう労力が要るんだけど、私としては、書く場があるのは本当にありがたいことなんですよね」。

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「鬼が島通信」連載中の「南の海のミウ」と関連資料など。絵はがきの絵は久高小中学校の生徒たちの描いたもの。

「鬼が島通信」は、情報収集の場にもなっています。羽衣伝説を下敷きにした「水のしろたえ」の連載時には、末吉さんの呼びかけに応えて、全国の読者から各地の羽衣伝説についての情報や資料が寄せられました。この作品も、単行本にするべく何度目かの直しを終えたところ。「あっというまに連載から5、6年(笑)。でも、単行本は、そういうペースでもいいと思うの。急いで出すよりは、ほんの少しでも完成度の高いものに近づけたい。自分の体力とバランスをとりながら、病気にならない程度にやっていこうと思っています」。

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「鬼が島通信」に連載した「水のしろたえ」執筆時の資料。毎回、大量の資料を調べて物語をつくっていく。

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『ざわざわ森のがんこちゃん あたらしいおともだち』(講談社)より。武田美穂絵。テレビのキャラクターも武田さんがデザインしているので、イメージぴったりの挿絵。

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MOEの取材のために注文してくださった、東京・大田区の洋菓子店(木いちご)特製がんこちゃんケーキ。かわいさもおいしさも罰群。


●ぶっとんだものをつくりたい

じっくりつくりあげる本とは対極にある、テレビの世界でも末吉さんの物語は大ヒット。脚本を手がける『ざわざわ森のがんこちゃん』は、NHK教育テレビで10年を超える長寿番組であり、小学校の道徳教材としても使われています。「私は逆にアンチ道徳的なことばかり書いてきたでしょ(笑)。幼年童話は、子どもをのびのびと解き放してあげるようなものでないと面白くないから。だから文部科学省の徳目に合ったお話なんて、私の仕事ではないですって最初はお断りしたんです」。けれども、熱心に説明されるうちに、次第に心が動きました。「よくよく考えると、道徳ってコミュニケーションだな、と思って。自分をだいじにする、安全に気をつけるとか、いのちの問題にもかかわる、根本的なことなんですよね」。

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『ざわざわ森のがんこちゃん』の脚本(左・中)と学校での指導の手引き(『学校放送』)。

それまでの番組とはまったくちがう、「ぶっとんだ」ものをつくりたい――そんな思いから誕生したのが、恐竜のがんこちゃん。「ほとんどうちの娘のちっちゃい時がモデルです。ねぼうはするし、なまけるし(笑)。あんまりいい子ちゃんにしたらつまんないから。子どもの願望そのままの、素直な主人公にしたかったんですよね。女の子だからって、性格を限定したくなくて。それで家事の得意なお父さんと力持ちのお母さんというふうに、役割を逆にしてるんです」。

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仕事部屋の本棚は著作や資料などでぎっしり。写真下方の棚に並ぶのは『ざわざわ森のがんこちゃん』の脚本。

がんこちゃんと仲間たちは、今や日本中の人気者。「10年も続くと、どんな田舎へ行っても子どもは知ってるんですよね。そこが本とまったくちがう。でも、テレビは1回放送したら消えちゃうけど、本はずっと残るし、いつでも手に取ることができるから。本にしたいって最初に言ってくださったのは、NHKのディレクターの方だったんです」。そういうわけで「がんこちゃん」は、幼年童話と「テレビ版」の2種類の本でも楽しめます。

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がんこちゃんと仲間たちのぬいぐるみがずらり。

「テレビは、私の脚本がもとではあるけど、短期間に百人近いスタッフがかかわってつくる協同作業なんですよね。本は編集者と絵描きさんと作家で、じっくりつくっていくもので。でも、私にとっては面白いストーリーをつくるという、意味では同じなんですよ。本はテレビみたいに瞬時に反響が返ることはないけど、やっぱりこれからも、書いていきたいですね。自分なりの素材を見つけて、ファンタジーを」。

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児童文学作家 末吉暁子の世界へようこそ!
公式HP「末吉暁子童話マップ」(01~16年)を元に、ちょびっとずつ公開。暁子さんの日記などは大体そのまま掲載しております。
猫とファンタジーを愛した作家の部屋へ、どうぞお立ち寄りくださいね~☆byりさ

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