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少女の存在感 (千と千尋の神隠し)

「少女の存在感」
(千と千尋の神隠し)               

末吉暁子
MOE 2002年1月号


なんてったて宮崎アニメ。文学作品や実写映画ともちがうアニメーションというツールのつぼを 知り尽くしている。

印象に残ったのは、千尋という少女。冒頭、車の後部座席にひっくり返って、カッタルソーな表情のまま、引越し先に向かう彼女の気持ち、 わかるなあ。

十歳の少女にとって、引越しは一大事件である。でも、少女には何も選択権がない。飢えも貧困もないかわり、 自分でつかみとっていく何物もない人生は退屈きわまりない。おそらく引越し先にも、面白い事なんか何にもないということが、 すでにわかってしまっている顔だ。

一方でまた、そこそこお金もあり、そこそこインテリでおしゃれで現実的で、それゆえ中途半端な自信を持っている父親や母親にも、 今の日本の典型的な両親像が見える。

で、少女は一転して、非日常的な世界に投げ込まれるのだが、そこが八百万の神々が湯治にくる巨大な湯屋だというのが、 意表をついておもしろい。逃げ口の多い西欧もののファンタジーにしたくなかったという、宮崎監督のこだわりなのだろう。

ところどころで、「あ、この風景知ってる!」と感じたのは、私自身が宮崎監督に近い世代だからかと思ったのだが、 聞けば、二十代の男性でも十代の少女でも同じように感じているという。この映画が、子供にも大人にもウケた理由は、 どうやらそのあたりにもありそうだ。日本人が抱く原風景が、いたるところに周到に用意されているのだ。

少女は、豚にされてしまった両親を救うため、ここで湯女として働く事になる。

一人で生きていく術など何も知らなかった少女が、ともかくも目の前の障害物を一個づつ乗り越えていくにつれ、 その目に輝きがもどり、生きる力が蘇ってくる。

湯屋にやってくる神々(というよりは、どこかの自治体のお役員様みたいなケッタイな妖怪ばっかりだけど)や、 その他、異世界の住人には、イマイチ存在感を感じなかったが、この少女には素直に共感できた。

「子供には本来、環境に適応して生きていく力が備わっているのだ」という宮崎監督のメッセージには、 子供の本の書き手の端くれである私も「ほんとうにその通り!」と、心からエールを送りたい。

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児童文学作家 末吉暁子の世界へようこそ!
公式HP「末吉暁子童話マップ」(01~16年)を元に、ちょびっとずつ公開。暁子さんの日記などは大体そのまま掲載しております。
猫とファンタジーを愛した作家の部屋へ、どうぞお立ち寄りくださいね~☆byりさ

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