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「母校へ・・」

「母校へ・・」

平成16年5月1日
静岡新聞 夕刊コラム「窓辺」第5回 

末吉暁子 


母校である県立沼津西高校の創立記念日に呼んでいただいて講演した。

その数日前、世話役の同窓生から「びっくりするといけないから言っておくけど・・。」とお電話があった。私が在校していた頃は女子高だったのだが、なんと今は男女共学なのだそうである。

聞いていなければ、校門の近くで最初に二人の男子学生に会ったとたん、「あ、学校まちがえた」と引きかえしていたかもしれない。

しかし、母校に講演に行くなんて、内心は冷や汗もの。優等生でも真面目な学生でもなく、どちらかといえば反抗的で、映画と読書に明け暮れる毎日だったのだ。でも、今までの生涯で一番よく本を読んだ時代かもしれない。

そんな学生時代の読書体験や、作家になったきっかけ、自作についてなどを「物語の魅力」と題して語ったのだが、壇上からだと学生の顔もよく見えず、私の話がちゃんと届いているのかどうかもわからなかった。

学生たちとじかに話し合う時間もなかったのだが、講演後、女生徒がわざわざ校長室まで訪ねてきてくれた。「私が読んで感動した本が、講演を聞いて先生の本だと知ってびっくりした」のだという。

作者の名前など覚えてもらえないのは童話作家の宿命だから、こちらも驚かない。でも、こうした出会いは時々あって、そのたび、作家であることの幸せを思う。

その日は実家へ寄ってから、夜遅く東京に帰り、パソコンを開いてみて驚いた。私のホームページに、学生達からたくさんの感想やお礼やらの書き込みが入っていたのだ。検索してホームページを探し出したのにちがいない。私の話はしっかりと彼らに届いていた。疲れも吹き飛ぶ思いだった。


~~あとがき~~

講演後に校長室に訪ねてきた学生が読んで感動したというのは、『雨ふり花さいた』でした。本というのは、大部数が出ていなくても、このように時々、深く読者の心に届くことがあり、それこそが作者冥利に尽きるのです。

さて、高校時代に私がハマッた本といえば、なんといっても『チボー家のジャック』でしょう。その頃の感想文に「ジャックは私の永遠の恋人である。」と書いたくらいです。

『チボー家のジャック』は、ロジェ・マルタン・デュ・ガールの大河小説『チボー家の人々』の青春版とも言われ、ジャックを中心とした部分だけを取り出してコンパクトにまとめた本です。ジャックに恋した私は、当然『チボー家の人々』にもハマッていきます。
 
まだ学校の図書室にもそろっていなかったのですが、友達から借りて、全13巻を息も継がずに読了しました。高校2年の夏休みのことでした。

「新聞の力」

「新聞の力」

平成16年4月24日 
静岡新聞夕刊コラム「窓辺」第4回 

末吉暁子 



私が「窓辺」の執筆を喜んでお引き受けしたのは、斜陽産業といわれる出版界の、さらにマイナーな「子供の本」の現場から、小さな声でも何かを発信するいい機会だと思ったからだ。が、思いもかけず、たくさんの知人から励ましのメールや手紙をいただいた。

私を直接知っている方達だから格別の思い入れがあったのだろうし、他の執筆者が錚々たる顔ぶれだからという事もあるだろう。

しかし、それだけではない「新聞の存在感の大きさ」のようなものを励ましの中に感じ取った。

私は新聞を三紙購読している。新聞には面白い記事がたくさんころがっていて目が離せない。

特に社会面。事実を書いているだけなのに、抱腹絶倒する事もあれば、義憤にかられる事もある。童話の種にする事もある。だから、毎朝、丹念に目を通す。

このところの最大の関心事といえば、なんといっても、イラクで起きた日本人人質事件だ。もちろん、テレビは事件を伝えるのに威力を発揮したが、私はまた別の意味で新聞の力を感じた。

ニュースが流れた翌々日の未明、今度は、24時間後に人質を解放するという声明がテレビで速報された。日本中がほっとしただろうが、その段階では、まだ安否はわからない。

折悪しく、翌日の月曜日は新聞休刊日だった。テレビをつけても、ニュースの時間にならないと続報は聞けない。目隠しされたような気分になった。

こんなときに頼りになるのは新聞だと知らされたのが、休刊日だったからとは皮肉だった。

いろいろな情報が錯綜する中、ようやく人質は無事解放された。

よかった。まずは、最悪の事態が避けられたことを喜びたい。


~~~あとがき~~~

「窓辺」に連載が始まると、実際ずいぶんたくさんの方からお電話や手紙、メールをいただきました。

小学校の同窓生から、実に何十年ぶりかで、「窓辺」の執筆、おめでとう!とお電話をいただいたりもしました。

「おめでとう!」といわれたのは、娘の結婚式以来。雑誌に何か書いたりしたときには、ついぞなかった反応です。

新聞の存在感の大きさを実感したしだいですが、このホームページに転載してみると、別にどうということもない普通の記事です。

なるほど。新聞に署名記事を書くということは、世界の重大ニュースと同じ紙面に載るからこそ、意義があり、付加価値があったのでした。

「幻の花」

「幻の花」

平成16年4月17日 

静岡新聞夕刊コラム「窓辺」第3回

末吉暁子 


私が生まれたのは横浜市だが、3歳のときに両親の出身地である沼津市に移ってきた。親戚の農家の離れを借りて、親子五人の暮らしが始まった。私の上には、それぞれ3歳ずつ年の離れた二人の姉がいた。終戦の年である。

その農家の裏口あたりで、母は、ときどき近所の主婦たちと立ち話をしていた。内気な子供だった私は、そんなときも母の後ろにくっついたまま、眺めるともなく、垣根の花や葉を見つめていた。

いつの季節かは忘れてしまったが、えんじ色をした地味な花が咲いていた。生垣に絡みつくようにひっそりと咲くその花を、幼心にも美しいと思った。

それからまもなく我が家には弟が生まれ、私達一家は歩いて数分の新しい家に引っ越した。

それきり、生垣の花を見る事もなくなってしまったのだが、ときおりどこかで似たような花を見つけると、思い出しては、せめて花の名前だけでも知りたいと思った。

図鑑で調べたりもしたが、これだと思う花には出会わなかった。

それから何十年もたち、すでに私は東京での暮らしのほうが長くなっていたが、実家に帰ったときに、あの生垣のところまでいってみたりもした。が、あたりの風景も昔とずいぶん変わっていて、結局判らないままだった。

数年前のこと。すぐ上の姉と雑談しているとき、ふと思い立って、その花のことを聞いてみた。

姉は即座に「ああ、あれは、あけびの花!」と言った。

そうだったのか! 長年の謎の答はこんなに近くにあったのに、なんと回り道をしていた事か。

花の名前がわかったのも感動だったが、姉が同じ時に同じものを見ていたのだと知ったのも、不思議な感動だった。

akebi01.jpg

~~~あとがき~~~

静岡新聞「窓辺」を読んで

私の家の近くに咲いていましたので、一枚パチリ


――こんなお便りと一緒に、その日の夕方、浜北市の森島さんという方から、メールで写真が届きました。

あけびの花の季節がいつごろだったかも定かでなかった私としては、あまりのタイミングに、またもや不思議な感動を味わうことになりました。

上の写真は、その一部を転載させていただいたものです。

「がんこちゃん」

「がんこちゃん」

静岡新聞 2004年4月3日
夕刊コラム「窓辺」第1回 

末吉暁子


NHK教育テレビの人形劇「ざわざわ森のがんこちゃん」の脚本を書くようになって、9年目になる。

当初この仕事をお引き受けしたときは、まさかこんなに長くお付き合いする事になろうとは夢にも思わなかった。どころか、この番組は、 小学校1年生の道徳の授業で教材としても使われると知って尻込みしたほどだった。

幼い子供には、できるだけ教訓やお説教などを押し付けることなく、お話そのものの面白さを楽しんでほしいというのが、 子供の本の作家としての私の願いだったからだ。しかし、授業の中で見せられるのなら、いっそ、子供たちが15分間、 夢中になって見てくれる面白いお話を作ってみようと思うに至った。 元気な恐竜の女の子がんこちゃんは、幸い、子供たちに受け入れられたようだ。

「うちの子が『がんこちゃん』が大好きです」というお母さんにもよく出会う。テレビの影響力の大きさを実感する瞬間である。

子供達にはまずお話そのものを楽しんでもらいたい。とはいえ、昨今の子供達はきびしい環境にさらされている。

今年度は、特に「誘拐」や「連れ去り」に対する備えを盛り込んだお話も作る事になった。言うまでもなく、 最近、頻発する幼児連れ去り事件を考慮してのことである。

お話の中では、「めでたしめでたし」で終わらせるのは簡単だが、現実には悲惨な結果となる事もしばしばだ。悲しい事だが、 子供たちも無防備ではいられない。そんなメッセージが、「がんこちゃん」を通じて子供たちに届くだろうか。いや、 現実生活で子供たちがそんな事態に出会わないですむ事を願うばかりだ。

バーゼルの大会で思った事

バーゼルの大会で思った事    

末吉暁子
2003年MOE5月号


2年に一度世界各地で開催されるこのIBBY(国際児童図書評議会)の「子供の本の世界大会」には、16年前の東京大会以来、ほとんど出席している。

もちろん、ほとんどが観光気分で参加しているだけだが、子供の本という共通の旗印の下に、世界各国から集まってくる老若男女たちの間に身を置くのは、思いがけず居心地がよかったのだ。さまざまな出会いの中で、思いもかけないお付き合いが始まったりもする。おそらくこの大会がなければ訪れる事もなかっただろう町のたたずまいも、なつかしく蘇ってくる。

私にとって、IBBYの大会とは、そのような場所だった。

2002年の秋に、スイスのバーゼルで開催された大会に出席したのは、スコットランドの旅を終え、オランダのアムステルダムに立ち寄った後だった。

開会式の当日。ホテルに着いたのは、すでに開会式が始まろうという時刻だった。

大あわてで着替えだけして会場にいってみると、なんと、空港並みのセキュリティーチェック。それもそのはず。創立50周年を記念するこの大会には、日本の美智子皇后とエジプトのムバラク大統領夫人というお二人のVIPが出席なさっていたからだ。

美智子皇后様のスピーチは、日本のメディアでもくり返し報道されたから、ご記憶の方も多いだろう。深い叡智と示唆に富むものだった。

「私がこのたびバーゼルにまいりましたのは、私自身がかつて子供として、本から多くの恩恵を受けたものであったからです。」と述べられたように、ご自身の子供のころの読書体験や、母親としての個人的な体験を通して語られたものだけに、いっそう感動が大きかった。

とりわけ、「生まれて何も知らぬ 吾が子の頬に/母よ 絶望の涙を落とすな」と武内てるよさんの詩を朗読されたときは、皇后様ご自身の歩んでこられた長くきびしかった道のりに思いをはせずにはいられず、胸が熱くなった。

今回の大会への参加は、皇室史上初めての皇后様の単独のご旅行だと聞いた。

世界各国の方々と自由に交流する貴重な機会を邪魔してはいけないと、日本からの参加者は遠くからそっと見守っている申し合わせだった。

しかし、翌日の市庁舎でのレセプションでは、お帰りがけ、遠くから会釈をした私の方に、皇后様は、弾むような足取りで近づいてこられた。まるで女学生のように生き生きした楽しそうな表情を拝見して、ああ、皇后様は、心からこのひとときを楽しまれているんだなと、私まで心が浮き立ってきたのだった。

たまたま、数年前、いちどお話をさせていただいた事があるだけなのだが、そのあと、拙著の『雨ふり花さいた』もお読みくださって、人を介してご感想も賜った。翌日、会場ですれちがったときには、「あ、末吉さん!」とお声までかけていただいた。その明晰な記憶力に舌を巻いた。

大会最後の日の分科会も、楽しい雰囲気にあふれていた。

専門家ごとの分科会では、私は、「作家・翻訳家」の会に顔を出したのだが、さまざまな国からの顔ぶれに混じって、数年前、国際アンデルセン賞を受賞した米国の作家、キャサリン・パターソンさんも出席されていた。小さな分科会なので、円陣に座って、ごく率直に自国の抱える悩みや個人的な意見などを交換し合う。

経済大国も小国も、大作家も作家の卵も、同じように気安く話せる。そんなところも居心地がいいのである。

このように、この大会は、私にとっては楽しい思い出が積み重なっていく場所なのだが、もちろん、そればかりではない。

いみじくも、皇后さまがスピーチの中で触れられたように、「貧困をはじめとする経済的、社会的な要因により、本ばかりか文字からすら遠ざけられている子供たちや、紛争の地で、日々を不安の中にすごす子供たちが、あまりにも多い」現実を、目の前につきつけられる場所でもある。

今年、国際児童図書普及賞を受賞したアルゼンチンの読書運動家からは、「麻薬や銃の売買に従事させられている子供達」に本を届け、読書の喜びを知ってもらう活動の報告がされた。

そんな国が特殊かといえば、とんでもない。

世界には、読書どころか、学校の教科書ももてず、文字の読み書きすら満足に習う事もできない子供たちが、まだまだたくさんいるのである。

同時にまた、そういう子供達に読書の喜びを届けるために、長い年月、地道な仕事を続けている大人たちもたくさんいることを知って、勇気付けられる。

しかし、書き手の一人として何ができるだろうかと考えたときに、心にうかんできたのは、その年、国際アンデルセン賞を受賞した英国の作家エイダン・チェンバースがシンポジウムでいった言葉である。

「私(作家)の仕事はいい物語を書くことであり、メッセージを書くことではない。」

そう。私もまた非力ながら、子供達に読書の喜びを与えられる「物語」を紡いでいきたいと心から思う。          

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プロフィール

catonbooks

Author:catonbooks
児童文学作家 末吉暁子の世界へようこそ!
公式HP「末吉暁子童話マップ」(01~16年)を元に、ちょびっとずつ公開。暁子さんの日記などは大体そのまま掲載しております。
猫とファンタジーを愛した作家の部屋へ、どうぞお立ち寄りくださいね~☆byりさ

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